中里逢庵(十三代太郎衛門)/NAKAZATO HOAN(TAROUEMON ⅩⅢ)
佐賀県生 1923年~2009年逝去 享年85歳
1923年 佐賀県唐津町で十二代中里太郎衛門の長男として生まれる。本名忠夫。
1943年 東京工芸学校(現千葉大学工学部)工芸図案科を卒業。
1951年 日展に初入選する。
1961年 日本陶磁協会賞を受賞。
1965年 現代工芸美術家協会視察団に入り欧州中近東視察。
1969年 十三代中里太郎右衛門を襲名する。この頃より韓国、台湾、タイ、マレーシア、インドネシアなどを訪問し技術研究を行う。
1984年 日展にて日本芸術院賞を受賞する。
1992年 佐賀県重要無形文化財に認定される。
1995年 唐津市政功労賞を受賞。紺綬褒章を受章。
2002年 長男・忠寛に名跡を譲り、得度して逢庵と号する。
2007年 日本芸術院会員となる。
2008年 旭日中綬章を受章する。
2009年 85歳で死去。
1923年 佐賀県唐津町で十二代中里太郎衛門の長男として生まれる。本名忠夫。
1943年 東京工芸学校(現千葉大学工学部)工芸図案科を卒業。
1951年 日展に初入選する。
1961年 日本陶磁協会賞を受賞。
1965年 現代工芸美術家協会視察団に入り欧州中近東視察。
1969年 十三代中里太郎右衛門を襲名する。この頃より韓国、台湾、タイ、マレーシア、インドネシアなどを訪問し技術研究を行う。
1984年 日展にて日本芸術院賞を受賞する。
1992年 佐賀県重要無形文化財に認定される。
1995年 唐津市政功労賞を受賞。紺綬褒章を受章。
2002年 長男・忠寛に名跡を譲り、得度して逢庵と号する。
2007年 日本芸術院会員となる。
2008年 旭日中綬章を受章する。
2009年 85歳で死去。
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十三代中里太郎衛門(逢庵)
十三代中里太郎衛門
唐津三島掻落し辰砂魚文偏壺 -
十三代中里太郎衛門(逢庵)
十二代中里太郎衛門(無庵)
叩き青唐津壺
《人間国宝(唐津)》