加守田章二/KAMODA SHOJI
大阪府生 1933年~1983年逝去 享年49歳
1933年 大阪府岸和田市にて生まれる。
1952年 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学。富本憲吉、近藤悠三らの指導を受ける。
1956年 京都市立大学を卒業。茨城・日立大甕陶苑の技術者となる。
1958年 益子・塚本製陶所の研修生となる。
1959年 益子で独立する。
1963年 富本憲吉の葬儀の帰りに常滑の江崎一生を訪ね穴窯の構造の教えを受ける。
1966年 日本陶磁協会賞を受賞。
1967年 第10回高村光太郎賞を受賞。
1969年 江崎一生、森陶岳と「三人展」を開催する(70年・71年)。岩手・遠野に移る。
1970年 遠野で制作した「曲線彫文」の炻器作品を発表。
1979年 遠野を離れ、益子へ戻る。
1980年 体調思わしくなく、病院で検査を受ける。
1981年 白血病と診断され、入退院を繰り返す。
1983年 肺炎による肺不全のため死去。
1933年 大阪府岸和田市にて生まれる。
1952年 京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻に入学。富本憲吉、近藤悠三らの指導を受ける。
1956年 京都市立大学を卒業。茨城・日立大甕陶苑の技術者となる。
1958年 益子・塚本製陶所の研修生となる。
1959年 益子で独立する。
1963年 富本憲吉の葬儀の帰りに常滑の江崎一生を訪ね穴窯の構造の教えを受ける。
1966年 日本陶磁協会賞を受賞。
1967年 第10回高村光太郎賞を受賞。
1969年 江崎一生、森陶岳と「三人展」を開催する(70年・71年)。岩手・遠野に移る。
1970年 遠野で制作した「曲線彫文」の炻器作品を発表。
1979年 遠野を離れ、益子へ戻る。
1980年 体調思わしくなく、病院で検査を受ける。
1981年 白血病と診断され、入退院を繰り返す。
1983年 肺炎による肺不全のため死去。
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加守田章二
加守田章二
失透釉花瓶 -
加守田章二
加守田章二
遠野花瓶