川喜田半泥子/KAWAKITA HANDEISHI
大阪府生 1878年~1963年逝去 享年84歳
1878年 大阪市で三重県津の木綿問屋を営む川喜田久太夫家の長男として生まれる。幼名は善太郎。
翌年に祖父と父を続けて亡くし、家督を継いで十六代久太夫政令を襲名する。
1894年 三重県尋常中学校に赴任中であった藤島武二に洋画を学ぶ。
1903年 百五銀行に取締役として入行する。
1912年 千歳山の土で楽焼を試みる。
1942年 荒川豊蔵・金重陶陽・三輪休和と「からひね会」を創設する。
1946年 千歳山の窯を長谷山に移し、広永陶苑を創設する。
1954年 喜寿を記念して、喜寿祝賀77碗をつくる。
1956年 藍綬褒章を授章する。
1957年 八十寿祝賀会開催 参加者100人に記念の茶碗と図録「半泥子八十賀百碗鑑」を贈る
1960年 82歳で死去。
1878年 大阪市で三重県津の木綿問屋を営む川喜田久太夫家の長男として生まれる。幼名は善太郎。
翌年に祖父と父を続けて亡くし、家督を継いで十六代久太夫政令を襲名する。
1894年 三重県尋常中学校に赴任中であった藤島武二に洋画を学ぶ。
1903年 百五銀行に取締役として入行する。
1912年 千歳山の土で楽焼を試みる。
1942年 荒川豊蔵・金重陶陽・三輪休和と「からひね会」を創設する。
1946年 千歳山の窯を長谷山に移し、広永陶苑を創設する。
1954年 喜寿を記念して、喜寿祝賀77碗をつくる。
1956年 藍綬褒章を授章する。
1957年 八十寿祝賀会開催 参加者100人に記念の茶碗と図録「半泥子八十賀百碗鑑」を贈る
1960年 82歳で死去。
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川喜田半泥子
川喜田半泥子
茶わん「山男」 -
川喜田半泥子
川喜田半泥子
茶盌「㐂び(七十七盌ノ内)」