富本憲吉/TOMIMOTO KENKICHI
奈良県生 1886年~1963年逝去 享年77歳
1886年 奈良県生駒郡安堵町に生まれる。
1904年 東京美術学校(現東京藝術大学)図案科に入学する。
1908年 ロンドンへ私費留学。
1911年 バーナード・リーチと交流を持ち楽焼に夢中になる。また六世乾山に入門するリーチに通訳として付き添う。
1926年 柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らと「日本民藝美術館設立趣意書」を連署する。東京・千歳村(現世田谷区上祖師谷)に新居と工房をつくる。
1935年 帝国美術院会員になる。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授になる。
1936年 九谷へ行き、北出塔次郎窯で作陶し色絵磁器の研究を行う。
1937年 帝国芸術院会員になる。
1944年 東京美術学校教授に就任。
1950年 京都市立美術大学教授に就任。
1955年 重要無形文化財「色絵磁器」の保持者に認定。
1961年 文化勲章を受章。
1963年 京都市立美術大学学長に就任。77歳で死去。
1886年 奈良県生駒郡安堵町に生まれる。
1904年 東京美術学校(現東京藝術大学)図案科に入学する。
1908年 ロンドンへ私費留学。
1911年 バーナード・リーチと交流を持ち楽焼に夢中になる。また六世乾山に入門するリーチに通訳として付き添う。
1926年 柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らと「日本民藝美術館設立趣意書」を連署する。東京・千歳村(現世田谷区上祖師谷)に新居と工房をつくる。
1935年 帝国美術院会員になる。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授になる。
1936年 九谷へ行き、北出塔次郎窯で作陶し色絵磁器の研究を行う。
1937年 帝国芸術院会員になる。
1944年 東京美術学校教授に就任。
1950年 京都市立美術大学教授に就任。
1955年 重要無形文化財「色絵磁器」の保持者に認定。
1961年 文化勲章を受章。
1963年 京都市立美術大学学長に就任。77歳で死去。
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富本憲吉
富本憲吉
色絵角瓶
《人間国宝(色絵磁器)》
《文化勲章》